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松江地方裁判所 昭和42年(ワ)118号 判決

原告 松江市

被告 石倉辰男

主文

被告は原告に対し別紙目録第二記載の建物を明渡し、且つ昭和四二年二月一六日から右明渡済みまで一ケ月二、二四〇円の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決第一項中金員の支払を命じる部分は仮に執行することができる。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告 主文第一、三項同旨及び被告は原告に対し別紙目録第三記載の建物部分を収去せよとの判決並びに仮執行宣言。

二  被告 原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者双方の主張とこれに対する答弁

一  請求原因

1  別紙目録第一記載の建物(以下元の建物という)は公営住宅法による公営住宅で、その敷地と共に原告の所有に属する。

2  原告は被告に対し左記約定で元の建物えの入居を承認し、これを被告に賃貸した。

(一) 入居年月日昭和三〇年五月二六日、(二) 使用目的居住のため、(三) 家賃一ケ月一、六〇〇円(但し昭和三九年七月から一ケ月二、二四〇円に増額された)、(四) 賃料支払期日毎月末日、(五) 入居期限定めなし、(六) その他の特約入居者と同程度以上の収入を有する松江市在住者を保証人として立てること、三ケ月分の家賃相当の敷金を納付すること。

3  元の建物の利用関係については公営住宅法及びそれに基づく条例のほか一般法として民法及び借家法の適用がある。従つて被告は公営住宅法(以下単に法という)二一条一項四項、松江市営住宅条例(以下単に条例という)一七条、民法四〇〇条に基づき元の建物を正常な状態において維持する義務を有し、且つ法二一条四項、条例二一条により市長の承認を得ないで元の建物を模様替し、又は増築することができず、これに違反して模様替又は増築をしたときは条例二六条、二七条一項五号、法二二条一項五号により右増築部分等を収去し原告に対し元の建物を明渡さなければならない。

4  被告は元の建物につき原告に無断で次のとおり模様替及び増築をした。

(一) 昭和四一年七月頃別紙目録添付第二図面(以下図面という)中(ロ)と表示されている箇所にあつた柱一本を撤去すると共に同所に新たに柱六本を設置して四・五畳の居間を六畳の居間及びたんす置場に、三畳の板の間を四畳の居間に模様替した。

(二) 昭和四〇年一〇月頃図面(イ)に表示された箇所にあつた広さ一・六三平方米の縁側を撤去し、同所に広さ五・九六平方米の縁側を増築した。右(一)(二)の増築の結果元の建物は別紙目録第二記載の建物(以下本件建物という)になつた。

(三) 昭和四一年一〇月頃図面(ハ)と表示された箇所で六畳の居間(図面(い)(ろ)(は)(に)(ほ)(へ)(と)(ち)(い)の各点を順次結んだ直線で囲まれた部分((別紙目録第三記載の建物以下増築六畳の間という))の増築工事を開始し同年末頃これを増築した。

5  原告は昭和四一年一〇月八日頃被告が原告に無断で前項(二)(三)記載の模様替及び増築工事を施工していることを発見したので、同月一二日頃被告に対し右工事の中止を申入れ更に同月一五日付その頃到達した内容証明郵便をもつて被告に対し右工事の中止並びに原状回復を請求した。しかるに被告は右請求に応ぜず工事を続行するので原告は同年一二月一四日付その頃到達の内容証明郵便で被告に対し法二二条一項五号、条例二七条一項五号に基づき本件賃貸借契約解除の意思表示をし昭和四二年二月二五日限り本件建物を明け渡すよう請求、同年一二月一五日頃原告の本件賃貸借は解除された。

6  よつて原告は被告に対し条例二六条、民法五九八条に基づき増築六畳の間の収去を、条例二七条に基づき本件建物の明渡並びに昭和四二年二月一六日から右明渡済みまで使用料相当一ケ月二、二四〇円の割合による損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁並びに主張

1  請求原因第1項のうち元の建物が公営住宅法による公営住宅であることは認めるも、その余は知らない。同第2項のうち(六)の三ケ月分の家賃相当の敷金の納付の点は否認するもその余は認める。敷金は一ケ月分である。同第3項のうち被告が元の建物を正常な状態で維持する義務を有することは認めるも、その余は否認する。第4項のうち(二)(三)の事実は認めるも、(一)の事実は否認する。第5項のうち本件建物の賃貸借が昭和四一年一二月一五日限り解除されたことは否認するも、その余は認める。第6項は争う。

2(一)  原告の本件明渡請求は地方自治法二四四条三項に所謂「住民が公の施設を利用するについての不当な差別的取扱」であつて地方公共団体の営造物に対する正当な管理権の範囲を逸脱した違法処分であるから無効であり、被告に本件建物の明渡義務はない。即ち公営住宅は地方公共団体の営造物であつて地方自治法二四四条一項所定の「公の施設」に該当するから地方公共団体は住民(公営住宅の入居者)が公営住宅を利用するについて不当な差別的取扱いをしてはならないのである。ところで原告主張のとおり条例は市営住宅の入居者が市長の承認を得ないで市営住宅を模様替し、増築することを禁止しており(二一条)、右に違反したときは市長において当該入居者に対し市営住宅の明渡を請求することができる(二七条五号)旨規定しているが、右規定は既に死文化しており本件明渡請求以前に松江市長が右条文に基づき市営住宅の無承認増改築者に対し明渡を請求した事例は全くなかつた。

本件建物の所在する旭ケ丘団地を初め松江市の各市営住宅における無承認増築の事例は次表のとおり多数に上る。

表〈省略〉

従来右のような無承認増改築が数多く行なわれたのは次のような理由によるものゝようである。即ち市営住宅は一般に狭いため、入居後家族の数が増加し増築の必要の生ずることが多いのであるが、その改造及び増築は当初より公認されているかの如く一般に慣行されており、しかも一定の年限を経過すれば入居者に当該住宅が払下られている、(例えば古志原町内大塚住宅団地は昭和三〇年中に、春日町内春日住宅団地、法吉町内久米住宅団地、東朝日町内小浜住宅団地、東津田町内井廻住宅団地、西津田町内岡住宅団地、古志原町内鼻曲り団地、東津田町内長通住宅団地、西津田町内城の前住宅団地は各昭和三五年頃から同四二年頃までの間に逐次入居者に払下られている)、ので入居者は一定年限を経過すれば自己に払下があるものと信じ右のような増改築を行なつていたのであり、しかも市営住宅の管理者である松江市は多年に亘りこれ等の無承認増築を放任していた。

そこで被告も市営住宅の増改築は自由になし得るものと信じていたところ、被告は先年松江市を定年退職した老令者で恩給も少く自活できないので薄給の息子夫婦と同居しその扶養にたよらねばならないのであるが、それには本件建物があまりにも狭隘なためこれに必要最少限度の増築をしたのである。ところが被告が増築六畳の間の増築に着手したところ、昭和四一年一〇月初頃松江市吏員より無承認増築をしないよう注意され、ついで同月一五日付で松江市長より右工事中止の催告があつたので被告は直ちに条例二一条に基づき詳細な工事設計書を添付した市営住宅増築及び模様替許可願を松江市の担当吏員を通じて同市長に提出し、これが受理されたので右許可願に対する回答を待つため一時工事を中止していたが何等回答がないので知人の訴外松江市会議員船来豊(以下船来という)を通じて同市長の内意を伺つたところ、数日後船来より工事を進行しても差支えない旨の意向が伝えられたので、被告はそのまま工事を進行し同年一二月頃右増築を完成した。右のとおり被告は松江市長より増築工事中止の催告を受けるや直ちに工事を中止し適法な増築承認申請をしており、右申請は前記のとおり理由のあるものであるから、同市長において直ちにこれを承認すべきであるのに、何等の応答もせず、同年一二月一四日付の内容証明郵便で被告に対し昭和四二年二月二五日限り右増築部分を撤去して本件建物を明渡すよう催告し、同年八月八日付書面をもつて被告に対し更に同様の催告をなし本訴提起を予告したうえ、同年一一月二九日本訴を提起するに至つたのである。

以上のとおり原告は被告以外の多数の無承認増築者に対してはかつて市営住宅の明渡は勿論、増築部分の撤去さえ請求していないのに、一人被告に対してのみ既に死文化した条例をたてにとり前記のような不公平で過酷な処分に出ているのである。しかも松江市の担当吏員は他の入居者に対する今後のみせしめとするためあえて被告を血祭にあげる旨放言しているのであつて、原告が被告の市営住宅の利用について不当な差別的取扱をしているのは明らかである。

(二)  仮に原告の本件明渡請求が地方自治法二四四条三項に違反していないとしても、前記事情の下にあつては原告が被告の本件増築につき黙示の承認をしていたと見るのが相当であるから、無承認増築を理由とする原告の本件明渡請求は失当である。

(三)  仮に以上の主張がいずれも理由のないものであるとしても、前記事情の下における原告の本件建物明渡請求権の行使は権利の濫用であつて許容されるべきでない。

(四)  前記のとおり公営住宅は地方公共団体の営造物であつてその使用関係は公法上の使用関係であるからこれについて民法、借家法の適用はないものと解するが、仮に一般法として同法の適用があるとすれば、被告は増築六畳の間につき原告主張のような収去義務を負担していない。即ち右六畳の間は本件建物の東南に接続して増築されたものであつて、その接続部分において本件建物の壁、柱等を共用して建築されていて外観上も本件建物の構成部分となつているから、右六畳の間は本件建物に附合しているものというべきであり、民法二四二条によりその所有権は本件建物の所有者である原告に帰属しているから被告においてこれを収去する権利はない。(最高裁昭和二八年一月二三日判決、民集七巻一号七八頁参照)

又被告の右増築が賃借人の善管注意義務に違反しているとしても、賃貸人は賃借人に対し右違反を理由に原状回復を請求することはできないからいずれにしても原告の増築六畳の間の収去請求は失当である(最高裁昭和二九年一一月一八日判決参照)

三  被告の主張に対する原告の答弁並びに反駁

1  被告主張二の2の(一)のうち被告主張のような市営住宅の無承認増築の事例が存したこと、昭和二九年一一月頃までの間に古志原町内大塚住宅団地、春日町内春日住宅団地、法吉町内久米住宅団地、東朝日町内小浜住宅団地、東津田町内井廻住宅団地、西津田町内岡住宅団地、古志原町内鼻曲り団地において入居者に対し市営住宅の払下があつたことは認めるも、その余は否認する。船来が被告主張のような市営住宅増築及び模様替許可願を松江市の係員に持参提示したことはあるが、担当係員はこれを受理せず右船来に返還している。被告主張二の2の(二)ないし(三)の事実は否認する。

2  地方自治法二四四条にいう「公の施設」は同法一〇条二項の役務の提供の内容に関するものであり、学校、病院、保育所、火葬場等住民の福祉を増進する目的をもつて住民の利用に供するため地方公共団体が設けた公衆に開放する施設(公共用物)を指すものであつて、私法上の公物使用契約の対象となり入居者の独占的利用を目的とする公営住宅は右の「公の施設」には含まれない。従つて公営住宅の利用関係については公営住宅法、同施行令、同施行規則及び公営住宅法二五条の委任に基づき制定された条例並びに一般法として民法及び借家法が適用されるのであつて、地方自治法二四四条は適用されない。

又松江市営住宅の入居者は公営住宅法及びその施行令、施行規則並びに松江市営住宅条例によつて定められた法律関係の諸条件を承知の上で一種の附合契約を締結するために市営住宅の使用許可申請をし、使用許可を受け当該市営住宅を賃借したものであるから、右条例は、単なる松江市側における内部的準則にとどまるものではなく、原告と被告との間における本件建物の使用関係を規律すべき内容としての拘束力を有するところ、前記のとおり被告は法二一条四項、条例二一条に違反して元の建物に増築をしたのであるから、条例二六条、二七条一項五号、法二二条一項五号により右増築部分等を収去し原告に対し本件建物を明渡す義務がある。

被告主張のとおり松江市営住宅中に数多くの無承認増築が行われているが、これは当初松江市において入居後一定年数経過後は市営住宅を入居者に譲渡する方針をとつていたので、その当時入居者が無断増築を行い松江市もこれを大目にみていた。ところが昭和二九年一一月一一日付建設省住宅局長通達(住発九三二号)により入居者に対する公営住宅の譲渡を認めないことになり、又昭和三四年に法二一条の二が新設され、収入超過者に対しては明渡努力義務が課せられたので、その後は松江市においても無承認増築を取締つている。ただ右方針変更は短期間内に徹底せず、他方松江市の係員の手不足もあつて違反を速やかに摘発できなかつたため、無承認増築がその後も行われていたが、原告はこれ等の違反を公認したことは勿論黙認したことも全くない。(違反者には個別に交渉し事情に応じて適切な方法をとつている。現に松江市古志原町所在池上団地の市営住宅に入居していた上谷某が当該市営住宅につき無承認増築をしたので、同訴外人に対し増築部分の収去と明渡を請求し、履行してもらつている)

又被告以外の無承認増築者の殆んどは被告のように増築の際市営住宅の本体にまで損傷を加えておらず、かつ原告から右違法増築を注意された時は直ちに工事を中止している。しかるに被告は前記のとおり昭和四一年一一月から同四二年八月までの間に内容証明郵便により三回パンフレツト(市営住宅における不正増改築等の禁止についての通達を明記した警告書)の送達により違法増築に対する警告並びに工事中止の命令を受けているのに、これを無視して違法増築を続行したもので、市営住宅の使用者として重大な不信行為を行なつているのであるから、原告の本件明渡請求は権利の濫用とはいえない。

第三当事者双方の証拠の提出、援用及び認否〈省略〉

理由

一  請求原因1、2項の事実は本件建物の敷地の所有者2の(六)のうち敷金額を除き当事者間に争いがない。

二  右争いのない事実に成立に争いのない甲第一二号証、証人布野哲郎の証言及び弁論の全趣旨(特に松江市営住宅条例)を総合すると、元の建物は公営佐宅法により建設された松江市営住宅で、その敷地と共に原告の所有に属すること、原告は被告に対し左記約定で元の建物えの入居を承認し、これを被告に賃貸した、即ち(一)入居年月日昭和三〇年五月二六日、(二)使用目的居住のため、(三)家賃一ケ月一、六〇〇円(但し昭和三九年七月から一ケ月二、二四〇円に増額)、(四)賃料支払期日毎月末日、(五)入居期限定めなし、(六)その他の特約入居者と同程度以上の収入を有する松江市在住者を保証人として立てる、三ケ月分の家賃相当の敷金を納付する、ことが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

三  被告は市営住宅の使用関係は公法上の使用関係である旨主張するので先ずこの点につき検討する。

公営住宅は、地方公共団体が国の協力を得て一般に住宅に困窮する低額所得者に対して、低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的として建設されるものであり、かゝる物的施設とその管理に任ずる人的手段との総合体として地方公共団体の営造物の一つとなつているものであつてその法律関係は右の性格を反映して、通常の私人間の借家関係とは異なり、管理的色彩の強いものである。即ち昭和二六年制定された公営住宅法は、第三章公営住宅の管理(一一条の二-二三条の二)の章下において、前記公営住宅建設の目的にそうよう、家賃の決定、敷金及びそれらの変更等家賃等の徴収猶予、報告、変更命令、修繕義務、入居者の募集方法、資格選考、保管義務、取入超過者に対する措置、公共住宅の明渡、公共住宅監理員の任命管理についての詳細な規定を設け、更に、第四章補則の章下において、事業主体はこの法律で定めるもののほか、公営住宅の管理について必要な事項を条例で定めなければならない旨を定め(同法二五条)、これに基づいて昭和三六年三月一三日松江市営住宅条例(同日松江市条例第二号)が制定されることになつたが、この条例は、市営住宅の利用関係の設定については「市営住宅に入居しようとする者は、市長の許可を受けなければならない。」(同条例六条)、「市長は、入居の申込をした者の数が入居させるべき市営住宅の戸数をこえる場合においては、公営住宅法施行令六条各号の一に該当する者のうち住宅困窮度の高いものから市営住宅の入居者を決定するものとする。前項の場合において、住宅困窮順位を定め難い者については、新設又は既設ごとに公開抽せんにより入居者を決定するものとする。」(同条例七条)旨を規定している。

元の建物は、被告が右条例により入居を許可されたものであり、公営住宅法並びに同条例の適用を受ける。従つて元の建物の法律関係は、管理的色彩の強いものであるが、だからといつて、そのことをもつて直ちにその利用関係を公法関係と解すべきでなく(利用関係の発生原因たる行為が使用許可という行政処分であるからといつて、そのためにその利用関係の性質を公法関係ということはできない。)、使用許可によつて形成もしくは設定される利用関係の性質のいかんは、実定法の解釈によるべきものと解する。公営住宅法一条が「住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与する目的で公営住宅を建設する」旨を宣言している文言と規定の趣旨に照し、同法は、その利用関係についてなんら民法及び借家法の適用を排斥することなく、むしろ、公営住宅の利用関係が本質的には私人間の賃貸借と異なるものではないことを承認したうえで、公営住宅建設の目的の特殊性にかんがみ、その管理運用上必要とする特別な規定を直接に設け、あるいはこれを条例に委任しているとみることができる。してみれば、公営住宅の利用関係そのものは、私法上の賃貸借にほかならず、基本的には、これについて公営住宅法及びそれに基づく条例に特別の規定のある場合のほか、一般法として民法及び借家法の適用がある。

又公営住宅の利用関係は、事業主体と入居者のそれぞれの権利義務は公営住宅法及びそれに基く条例に特別の定めがない限り、一般の家主、借家人の権利義務と同じであるが、ただ事業主体は、公営住宅法及びその施行規則によつてかなりの制約をうけているし、一方前記のとおり条例によつて利用関係の内容を定める権能を与えられており、入居者はこれらの法令(条例を含む)によつて定められた法律関係の諸条件を承知のうえで、一種の附合契約を締結するために公営住宅の使用許可の申請をするものと解するを相当とする。従つて右条例は単なる原告松江市側における内部的準則にとどまるものではなく、原告と被告間における本件建物の法律関係を規律すべき内容として拘束力を有するといわなければならない。

四  ところで松江市営住宅条例には市長の承認を得ないで入居者が市営住宅を模様替し、又は増築した場合につき次のような規定が存する。

一七条 入居者は、当該市営住宅又は共同施設の使用について必要な注意を払い、これを正常な状態において維持しなければならない。

2 入居者の責に帰すべき理由によつて、市営住宅又は共同施設を滅失し又はき損したときは、これを原状に復し、又はこの損害を賠償しなければならない。

二一条 入居者は、市営住宅を模様替し、又は増築してはならない。但し、原状回復又は撤去が容易である場合において市長の承認を得たときは、この限りでない。

2 市長は、前項の承認を行うにあたり、入居者が当該住宅を明渡すときは、入居者の費用で原状回復又は撤去を行なうべきことを条件とするものとする。

二七条 市長は、入居者が次の各号の一に該当する場合においては、当該入居者に対し、市営住宅の明渡しを請求することができる。

四  当該市営住宅又は共同施設を故意にき損したとき。

五  一九条から二一条までの規定に違反したとき。

ところで一般住宅の賃貸借契約においても賃借人は、賃借物を「契約又ハ目的物ノ性質ニ因リテ定マリタル用方ニ従ヒ其ノ使用及ビ収益ヲ為スコトヲ要」し(民法六一六条、五九四条一項)賃借物を返還するまで「善良ナル管理者ノ注意ヲ以テ」保管しなければならない(同法四〇〇条)から賃貸人に無断で賃借建物を増改築した場合は用法義務ないし保管義務違反として賃貸借解除の理由となりうる(同法五四一条)。

しかしながら賃貸借は当事者の個人的信頼関係を基礎とする継続的法律関係であるから賃借人による無断増改築が用方違反や保管義務違反になる場合でもそれを理由とする解除は当該義務違反が賃貸人、賃借人間の「信頼関係の破壊」にあたる場合にのみ許されるものであつて軽微な用法違反は解除原因にならないものと考える。

これを公営住宅の賃貸借について検討すると、公営住宅は前記のとおり地方公共団体が国の協力を得て一般に住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的として建築されたものであり、その目的のため一般には画一的に作られた住宅を画一低廉な家賃で賃貸しているところ、賃借人が事業主体に無断で公営住宅に造作を取り付けたり増改築をしたりすると借家契約終了の際に事業主体側に造作の買取義務や有益費償還義務が生じ、予期せざる出捐を強いられることになるので、右のような公営住宅の模様替や増改築が当該公営住宅の機能を損つたり、原状回復を困難にするようなものであるときは用法違反、保管義務違反として賃貸借解除の理由となるものと解するのが相当であり、前記松江市営住宅条例はその旨を定めたものと解することができる。

そこで被告に右のような義務違反があつたかどうかにつき検討する。

被告が昭和四〇年一〇月頃図面(イ)に表示された箇所にあつた広さ一・六三平方米の縁側を撤去し、同所に広さ五・九六平方米の縁側を増築したこと、昭和四一年一〇月頃図面(ハ)と表示された箇所で増築六畳の間の増築工事を開始し同年末頃これを増築したことは当事者間に争いがない。右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一ないし一二号証被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一号証、右結果により原本の存在及び成立、それが原本の写であることが認められる乙第二号証、証人布野哲郎の証言及び被告本人尋問並びに検証の結果を総合すると次の事実が認められる。

松江市営住宅の入居者が当該住宅を模様替し、又は増築しようとする場合はあらかじめ所定の市営住宅増築及び模様替許可願を市長に提出し、その承認を得なければならないことになつており、市長は右許可願が二坪以下の風呂場、物置程度の増築である時は原則としてこれを承認しており、且つ払下直前の市営住宅については昭和三三年頃以前にはそれ以上の規模の増築についても承認したことがあつた。被告はいずれも松江市長の承認を得ずに昭和四〇年一月頃図面(イ)に表示された箇所にあつた広さ約一・六三平方米の内縁を撤去し、同所に広さ五・九六平方米の縁側を取り付けた。昭和四一年七月頃図面中(ロ)のBと表示されている箇所にあつた柱一本を撤去し、新たに同所に柱四本を取り付け、四・五畳の居間を六畳の居間及びたんす置場に増改築し、同図面(ロ)のCと表示されている箇所にあつた柱及び窓を取りはずし、新たに柱二本と出窓を取り付け、三畳の板の間を四畳の板の間に増改築し、その結果元の建物は本件建物に増改築された。昭和四一年一〇月から同年一二月上旬頃までの間に図面(に)(ほ)を結んだ箇所にあつた戸を撤去し、(へ)(ほ)を結んだ箇所にあつた壁を取りこわし、新たに右(に)(ほ)の南側に接属して約一・五平方米のコンクリート土間の玄関(以下増築玄関という)を増築し、右(へ)(ほ)(ろ)を結んだ線の東南側に接属して一間の押入れと造り付けの下駄箱をそなえた六畳の間を増築した。右増築部分のうち(イ)、(ロ)のB及びCの増改築部分はその接属部分において元の建物の土台、基礎、柱等を共用して建築されていることが窺れ、外観上も元の建物の構成部分となつている。又前記増築玄関及び六畳の間は元の建物に密接して建築されているが、その接属部分は元の建物の土台、基礎、柱を共用していないように見受けられ、別棟の建物としての外観を有するが右六畳の間と本件建物とは襖によつて仕切られていて構造上区分されておらず、本件建物と増築六畳の間は右増築玄関を共通の出入り口としており、増築六畳の間は被告の息子夫婦の居間として使用されているが、台所も便所もなく本件建物と一緒でなければ住居としての用途に供し得ないのであつて、社会通念上独立の建物と同一の経済上の効力を有しない。

以上の認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実によると右(イ)、(ロ)のB及びCの増改築部分及び増築玄関、増築六畳の間はいずれも元の建物に附合しているものというべきであつて、その所有権は元の建物の所有者である松江市に帰属したものと認めるのが相当であり、且つ右増改築部分を撤去して原状に復することは著しく困難であることが明らかであるから、条例二一条、二七条に定められた賃貸借解除の理由に当るものといわなければならない。(被告は、原告が被告の右増築につき黙示の承認をしていた旨主張し、前掲乙第一、二号証に証人布野哲郎及び同船来豊の各証言並びに被告本人尋問の結果を総合すると、被告が増築六畳の間の増築に着手したところ、昭和四一年一〇月初頃松江市の担当係員より無承認増築をしないよう注意され、ついで同月一五日付で松江市長より右工事中止の催告があつたので、被告は条例二一条に基づき工事設計書を添付した市営住宅増築及び模様替許可願を作成し、知人で松江市議会議員である船来にその提出方を依頼し、船来が右書面を松江市の住宅係長鈴木徳雄に交付したのに、原告が本件建物の賃貸借解除の意思表示をした昭和四一年一二月一四日頃に至つても、まだ許可願につき許否の処分がなされていないことが認められるが、前掲甲第一ないし四号証に証人布野哲郎及び同船来豊の各証言を総合すると、原告は昭和四一年一〇月初頃被告に対し増築六畳の間の増築工事の中止を申入れ同月一五日付その頃到達した内容証明郵便をもつて被告に対し右工事の中止並びに原状回復を請求し、被告が前記増築許可願を提出した後も前記鈴木住宅係長及び松江市の建築課長である布野哲郎が船来市会議員を通じて或は直接被告に対し右許可願は松江市が定めた前記基準を超える増改築であるから受理できない旨説明し、同年一二月一四日付その頃到達の内容証明郵便をもつて被告に対し法二二条一項五号、条例二七条一項五号に基づき昭和四二年二月二五日限り本件建物を明渡すよう請求していることが認められるから、被告が原告の前記増改築につき黙示の承認をしていたものと認めることはできない)。

以上認定事実によると原告は昭和四一年一二月一五日頃被告に対し本件建物賃貸借解除の意思表示をしたものと認められるところ、被告は原告の本件明渡請求は地方自治法二四四条三項に所謂「住民が公の施設を利用するについての不当な差別的取扱」であつて地方公共団体の営造物に対する正当な管理権の範囲を逸脱した違法な処分であるから無効である旨主張する。公の施設とは住民の福祉を増進する目的をもつて住民の利用に供するため普通地方公共団体が設ける施設であり、公営住宅は直接一般公衆に対し経済的精神的文化的義務を提供しまたはその利用に供せられるため地方公共団体が設けた「公共用営造物」であるから地方自治法所定の公の施設に該当する。しかしながら公営住宅の使用関係は前記のとおり私法上の賃貸借と異ならないところ、地方自治法は地方公共団体の公法関係を規律するための規定であつて、地方公共団体が私法上の権利主体として登場する場合の法律関係は地方自治法のわく外にあるから、公営住宅の使用関係につき地方自治法二四四条の適用はないものといわなければならない。もつとも公営住宅の使用関係設定以前の行政行為並びに公営住宅の設置管理に属する行政行為は、地方自治体が公法上の権利主体として行う権力行為であるから地方自治法の適用があるが、このことから直ちに地方自治体が非権力的な対等の権利主体として締結した公営住宅の賃貸借関係につき同法の適用があるとはいえない。従つて被告の前記主張は爾余の点につき判断するまでもなく失当である。従つて本件建物の賃貸借は昭和四一年一二月一五日頃前記契約解除により終了したものというべきである。

五  次に被告は原告の本件建物明渡請求権の行使は権利の濫用である旨主張するので判断する。

被告主張のような市営住宅の無承認増築の事例が存したこと古志原町内大塚住宅団地、春日町内春日住宅団地、法吉町内久米住宅団地、東朝日町内小浜住宅団地、東津田町内井廻住宅団地、西津田町内岡住宅団地、古志原町内鼻曲り団地において入居者に対し市営住宅の払下があつたことは払下日時を除いて当事者間に争いがない。右争いのない事実に成立に争いのない乙第四ないし七号証、前掲甲第四号証、証人布野哲郎の証言被告本人尋問及び検証の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。市営住宅は一般に狭いため、入居後家族数が増加した場合増築の必要が生じることが多く、又松江市においても昭和二九年頃までは入居後一定年数を経過した市営住宅を入居者に譲渡する方針をとつていたので、入居者の中には払下を期待して無承認増築をする者もあり松江市もこれを黙認していた。ところが昭和二九年一一月一一日付建設省住宅局長通達(住発九三二号)により入居者に対する公営住宅の譲渡は原則として認めないことになり、又昭和三四年に公営住宅法二一条の二が新設され収入超過者に対しては明渡努力義務が課せられたので、その後は松江市においても無承認増築を取締ることになつたが、右方針変更は徹底せず、又松江市の係員の手不足もあつて違反を速やかに摘発できなかつたうえ、西津田町内岡住宅が昭和四一年頃入居者に払下げられたこともあり、相当規模の増築であつても当該住宅が払下直前のものであれば松江市長において増築を許可した事例もあつたため、昭和三四年後も無承認増築が引続き行われ、その数は被告主張のように多数にのぼること、現に本件建物の存する旭ケ丘団地の市営住宅二五戸のうち約六戸が無承認増築をしており、その中には被告の前記増改築と同規模の増改築も存すること、原告は昭和四一年一二月八日頃無承認増築者に対し各「市営住宅における不正増改築の禁止についての通達」を明記した警告書を送付し、且つ担当係員をして目立つた不正増築者に対し口頭で注意し、松江市古志原町内池上団地の市営住宅を賃借していた上谷某が無承認増築をした際には、同訴外人に対し増築部分の収去と明渡しを請求し履行してもらつたこと、被告に対しても前記認定のとおり昭和四一年一〇月一二日頃増築六畳の間の増築工事の中止を申入れたのを始めとして、同年一二月一四日頃までの間に内容証明郵便により二回、パンフレツト(市営住宅における不正増改築等の禁止についての通達を明記した警告書)の送達により違法増築に対する警告並びに工事中止命令を発したが、被告は船来市会議員を通じて提出した増改築許可申請が承認されることに安易な期待をかけ違法増築を続行し、昭和四二年一二月上旬頃増築六畳の間の増築工事を完成したこと、松江市が無承認増改築を理由に市営住宅の賃貸借契約を解除し、明渡請求訴訟を提起したのは本件が始てであること、被告は松江市を定年退職した老令者で恩給だけでは自活できないので息子夫婦と同居しその扶養を受けているのであるが、増改築前の元の建物は前記のとおり六畳、四・五畳の居間と三畳の板の間及び台所からなり被告夫婦と息子夫婦の四人が生活するためには狭隘となつたためやむおえず前記のような増改築をした。

以上認定事実に反する被告本人尋問の結果は証人布野哲郎及び同船来豊の各証言に照して信用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上認定事実を総合すると、被告は生活上の必要から本件増改築工事をしたものであつて、本件建物を明渡す時は生活の本拠を失うことになること、多数の無承認増改築者の中で、初めて被告に対し賃貸借契約解除がなされ明渡請求訴訟が提起されたことはいさゝか過酷の感があるが、ことこゝにいたつたのは原告の度重なる警告、原状回復請求を無視し、増改築工事を強行した被告の無思慮に原因するものというべきであり、原告の本件建物明渡請求権の行使が被告を苦しめるためのみの目的に出ていると認めるに足る証拠はなく、かえつて前記認定事実を総合すると本件明渡請求は公営住宅の適正な管理のため必要であると認められるから原告の本件明渡請求権の行使が権利の濫用であるということはできない。

六  よつて本件賃貸借は昭和四一年一二月一五日頃契約解除により終了しているから、被告は本件建物の所有者である原告に対し本件建物を原状に復して明渡す義務があるところ、原告は松江市営住宅条例二六条、民法五九八条に基づき増築六畳の間の収去を請求しているが、前記のとおり同部屋は社会経済的に独立性をもたず主家たる本件建物に附合しているから、被告にその収去権も収去義務もない。よつて原告の右収去請求は失当である。(尚前記のとおり条例一七条には入居者の責に帰すべき理由によつて、市営住宅又は共同施設を滅失し又はき損したときは、これを原状に復さなければならない旨規定されているが右「き損」とは賃借建物を損壊しその価値を減少させた場合を指すものであつて、賃借人の増改築により建物の価値が増した場合は「き損」の概念に入らないものと解するのが相当である。又右条例二一条には市長が入居者において当該住宅を明渡すときは、入居者の費用で原状回復又は撤去を行なうべきことを条件として市営住宅の模様替、増築を承認することができる旨の、条例二六条には入居者が二一条一項の規定により市営住宅を模様替し、又は増築したときは、市営住宅明渡前に入居者の費用で原状回復又は撤去を行なわなければならない旨規定されているが、賃借人と賃貸人との間で当該建物を明渡す際には増改築部分を原状に復して明渡す旨の特約が存する場合は、右増改築部分が主屋に附合している場合でも賃借人に原状回復義務があるのであつて、右条例二一条は右の特約を定めたものと解することができるが、本件のような無承認増築の場合は右の特約も存しないから結局被告に増改築部分の収去義務はない)。

七  従つて被告は原告に対し本件建物を明渡し且つ賃貸借終了後である昭和四二年二月一六日から明渡済みまで本件建物につき不法占有による賃料相当損害金を支払う義務あるところ、本件建物の昭和四二年二月一五日現在の賃料が一ケ月二、二四〇円であることは当事者間に争いがないから被告は原告に対し昭和四二年二月一六日から右明渡し済みまで一ケ月二、二四〇円の割合による損害金を支払う義務がある(尚証人布野哲郎の証言及び被告本人尋問の結果によれば被告は昭和四二年二月一六日から同年三月一五日までの賃料を納付済みであることが認められるが、右賃料は本来過誤納付として被告に返還されるべきものであるから被告の右損害金支払債務から右納付金を差引くことは相当でない)。

以上の次第で原告の本訴請求は右の限度で理由があり、増築六畳の間の収去請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行宣言につき同法一九六条一項(但し建物明渡に関する仮執行宣言の申立は不相当であるからこれを却下する。)を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 元吉麗子)

(別紙)目録

第一 松江市古志原町二三四番地四

松江市営旭ケ丘住宅第一号

居宅 床面積六八・四八平方米

但し別紙添付第一図面表示の建物

第二 右同居宅

但し別紙添付第二図面中青斜線の部分を除く

第三 右同居宅のうち

別紙添付第二図面中青斜線の部分

別紙第一図面〈省略〉

別紙第二図面〈省略〉

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